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中国にもの申す(続)ーーーそれは内政干渉なのか

 中国がやっている香港民主派やウイグル族に対する弾圧を欧米諸国などが問題にすると、それは内政干渉だと反発する。中国国内の問題に外部からとやかく言うな、というわけだ。
 しかし、その問題は内政干渉なのだろうか。自分の国のことなら、何をやってもいいということなのか。冗談ではない。中国政府は地球という概念を忘れているのだ。
 現在、この地球には79億人近くの人が色々な国に分かれて住んでいる。普通、日本に生まれ、日本に住んでいれば日本人だし、アメリカに住んでいればアメリカ人となる。しかしその前に、私たちは地球という星に住んでいる地球人なのだ。
 基本的人権や生命の尊重は、国によって違うべきではなく、同じ地球人として平等に扱われなくてはならない。だから、どの国に住んでいようと、どんな宗教を信じていようと、性別や肌の色、社会的地位、政治的信条に関係なく、生命や人権は平等でなければならない。
 だから中国だけではなく、ミャンマーやアフガニスタン、北朝鮮、ロシアなどで、人々の人権が抑圧され、命の危険にさらされていたら、それを問題にするのは同じ地球人として当然の権利なのだ。
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中国にもの申すーーーこのパンデミックどうおとしまえつけるんや

 昨今の新型コロナウィルスでパンデミックが起き、全世界に多大なる影響が出た。この感染症による死者は450万人を超えている。また各国の経済にも深刻な打撃を与えた。売り上げ激減による企業倒産、失業者や自殺者も急増した。
 今回の新型コロナウィルスは中国発と言われている。どのような経緯でウィルスが発生し、パンデミックに至ったのかーーー中国政府は真相を隠しているので詳細は分からないが、上記の世界的な損失に対し、どう責任をとるのか?未だにお詫びの言葉もないとは、どういうことか?
 この世界的な損失を賠償してほしいが、その額は何千兆円とか何万兆円などという莫大な金額になるだろう。それを中国一国で賄えるとは思えないので、私は無理は言わない。
 そのかわりに、1円も払わずに世界を納得させることができる方策があるのだ。だから中国にもの申す。以下の私の提案を実行したらどうか。そうすれば世界から尊敬される国に変身できるだろう。
 まず、覇権主義をやめなさい。南シナ海は自分のものと言う身勝手な主張は取り下げなさい。国際司法裁判所は中国の主張を否定したではないか。また、尖閣諸島付近をウロチョロするな。尖閣は日本の領土だ。香港の民主派やウイグル族、法輪功という気功集団への弾圧をやめなさい。また、台湾を武力で併合しようとする野望を捨てなさい。
 これらのことを実行すれば、世界平和への道が少しは開けるだろう。中国は世界第二位の経済大国だ。大国は地球環境を守ることと世界平和に貢献する義務を負っているのだ。

 

ネットの功罪

 現在の日本では(いや多くの世界の国々においても)、小さな子供やかなりのお年寄りを除いて、スマホを持ってない人は少ないと思います。
 スマホはそれだけ日常生活に欠かせない、とても便利なツールだからです。スマホを1日何時間も手にしている人にとっては、スマホのない生活は考えられないでしょう。特にSNSを通じ色々な情報を入手できますし、逆に世界に向けて情報を発信することも手軽にできるのです。
 これはSNSの良い面でありますが、同時に悪い面をはらんでいることを知らなければなりません。例えば、トリップアドバイザーや食べログなどのサイトでは、ホテルやレストランなどの情報が満載しています。これらのサイトでは口コミの蘭があって、誰でもそのホテルや店の体験や印象を投稿できるわけです。
 どの店を選ぼうかと迷っている人にとって、これらの口コミはとても参考になるのですが、ふと私は疑問に思うこともあるのです。いったいこの口コミ(投稿)は正しいのだろうかと。
 なぜなら、誰でもコメントを書けるとしたら、その店のオーナーがお金を払って、多くの人に良いコメントを書いてもらうとか、逆にライバルの店があったら、そこに対し悪いコメントを書いてもらう、ということも可能だからです。
 こうなると口コミ自体の信ぴょう性も問われるわけで、何を信じて良いか分からなくなってしまいます。また著名人に対するコメントでは、誹謗中傷や人格否定など、見るに堪えないものもたくさん出てきます。それによって自殺した人もいるではありませんか。
 ネットやSNSがそれ自体悪いわけではありませんが、使い方によっては、それが凶器になってしまうのです。 ネットやスマホをなくすことはできませんので、これからの社会はその功罪を見極め、間違った情報を常に監視する必要があるのかも知れません。


 

オリンピックとパラリンピックを見ての心境変化

 日本でのオリンピック、パラリンピックが1年延期して行なわれました。コロナ禍で無観客となり、色々開催に関し批判もありましたが、私はやって良かったと思っています。
 オリンピックは7月21日~8月8日まで、パラリンピックな約2週間あけて始まり、9月5日に無事閉会式を迎えました。無観客だったので、多くの人はテレビで観戦したのではないでしょうか。私もその一人です。
 さて、オリンピックとパラリンピックの両方を観戦したのですが、私の場合、どうもこの二つに関し心境の違いが出たようなのです。
 オリンピックでは、私は日本人ですから、当然日本の選手を応援しました。日本の選手が勝てばうれしいし、金メダルを取れば、私も有頂天になったものです。逆に日本が負ければ悔しいし、日本人の金メダル候補が敗れ、メダルは取れたとしても金でないことに釈然としないものがあったものです。つまり勝負にこだわっていたわけで、観戦していてもハラハラドキドキ、心休まることはありませんでした。
 でもパラリンピックを見ていて、オリンピック時の私の心境はどうも変わってきたようなのです。パラリンピックの選手たちは皆障害を抱えています。交通事故で両脚を無くし、車イス生活になった人もいます。
 その絶望感から這い上がり、パラリンピックに出場するまでになったのです。その過程では、苦しみ、悲しみ、そして喜びや感謝まで、色々な感情があったことでしょう。その努力に私は敬意を表したいと思います。
 そうやってがんばっている選手を見ていると、国籍には関係なく、どの選手も応援したくなりました。勝ち負けにはこだわらない自分がいたのです。日本の選手が出ていれば応援しましたが、それほどハラハラドキドキはありませんでした。
 本来、スポーツ観戦はこうありたいものだと私は思ったのです。国籍、人種は違うけれど、皆、血のにじむような努力をして、ここまできたわけです。その人間性に拍手したいと思います。そして勝った方も負けた方も、勝負が終わればお互いがその健闘をたたえ合うーーーそこにスポーツのすばらしさ、平和への道筋が描けるのではないでしょうか。