FC2ブログ

所有か体験かーーー幸せになるお金の使い道

 家賃や光熱費、日々の食費でお金のほとんどを使ってしまうようなギリギリの生活をしている人は別として、余分なお金をどう使うかは、その人の価値観に左右されます。
 大きく分けて、物への所有欲が強く、物品を買うことに使う人と、色々な体験に使う人です。お金の使い道によって、その時の幸福感に違いが出るのでしょうか?
 高級ブランドの衣服やバッグ、高価な時計、カメラ、車などなど、現代は所有欲を満たす物品であふれています。新しいアイフォンが発売されると聞いて、前日から店頭に並ぶ人たちもいます。欲しかった物が手に入ったら、確かに嬉しく、幸福感に満たされるでしょう。
 一方、物の所有にはあまり興味がなく、それを体験に使う人たちもいます。旅行や映画、コンサート、気の合った仲間との飲み会や趣味の会などにお金を使うケースです。
 さて、どちらのお金の使い道が私たちを幸せに導くのでしょうか?
 リチャード・ワイズマン著の「その科学が成功を決める」によると、心理学者のリーフ・バン・ボーウェンとトマス・ギロヴィッチは、その疑問に答えるある実験を行いました。
 それによると、体験を買う人の方が品物を買う人よりも、短期的にも長期的にも人の気分を良くするという結果が出たのです。
 それはなぜか? ドストエフスキーが言ったように「人は何にでも慣れる動物である」ため、欲しかった物を所有した当座は喜びにあふれていても、やがてそれは当たり前の状態になってしまい、もっと良い物が欲しくなるという、不満足の連鎖に陥ってしまうからではないでしょうか。
 一方、旅行、楽しい食事や会話などの体験は、とても貴重な思い出として心の中にいつまでも残るからでしょう。また体験は、他の人との共感という、幸福感を誘発する行動を伴う場合が多いからではないでしょうか。

スポンサーサイト



「自分に厳しく他人にも厳しく」か「自分に甘く他人にも甘く」か?

 自分自身と他人との関係に関し、厳しさと甘さ(優しさ)という対立した言葉で表すことがあります。
 理想として言われるのは、「自分に厳しく他人には優しく」ですが、こんな人はなかなかいそうにないですね。その逆で、「自分には甘く他人に厳しく」という人はチラホラいるような気がします。まあ、こんな人と付き合うのは疲れますけど・・・。
 さて、多く見られるのが、自分と他人との対応が同じになるケースです。故・無能唱元は「自分に厳しい人は他人にも厳しくなるし、他人に甘い人は自分にも甘くなる」と言っています。大多数の人はこのどちらかに当てはまるのではないでしょうか。
 私たちは色々な人との関わりの中で生きているわけですが、まわりの人が「自分にも他人にも厳しい」か、「自分にも他人にも甘い」か、どちらの方が暮らしやすいでしょうか?
 自分にも他人にも甘い人ばかりだと、社会のルールは守られなくなり、世の中の秩序も乱れてしまうかも知れません。
 逆に自分にも他人にも厳しい人ばかりだと、社会のルールは守られ、整然とした世の中になるでしょう。でも人間は神様ではありませんから、間違いも犯すでしょう。自分の責任ではない所で人に迷惑をかけるかも知れません。たとえば電車が動かなくなって、約束の時間に遅れるとか・・・。そんな時でも厳しく追及されたらたまりませんよね。なにか世の中が息苦しくなってしまいそうです。
 私の性格は、どちらかというと自分に甘いほうなので、自分のミスはすぐ許してほしいと思ってしまいます。でもその分、他人には優しく接しようと思います。

スピリチュアルの視点での俳優という職業

 俳優というのは、とても面白い職業だと私は思っています。スピリチュアル的には、とても得な職業だと・・・。
 輪廻転生という考えでは、魂は何回もあの世とこの世を行き来し、生まれ変わりを繰り返すと言います。それは魂のレベルを上げるためです。具体的には、愛を知り、愛を実践できる魂になるためだと、私は思っています。
 さて、そのためには魂は色々な人物を体験する必要があるのです。男に生まれたり女に生まれたり、大富豪の家に生まれたり、極貧の家に生まれたり、同性愛者や障害者として生きたり・・・色々な人物、立場を体験することで、その気持ちや心情、考え方を理解し、そして魂は成長していくのではないでしょうか。
 しかしたくさんの立場を体験するためには、1回や2回の生まれ変わりでは足りません。だから何百回も輪廻転生するのでしょう。

 映画や舞台、テレビなどで様々な役柄を演じる俳優という職業は、疑似体験ではあるけれど、フィクションの中で様々な人生を体験できるのです。大企業の社長になったり、一国に首相になったり、ホームレスになったり、殺人を犯したり、その被害者の親になったり、刑事になったりして、実際の人生ではなかなか味わえないような役を演じるわけです。
 そして真柏の演技をするためには、その役になりきらなくてはなりません。その役の人生の心情、苦悩、喜びなどを理解するよう努めるのです。
 これはまさに疑似体験とはいえ、生まれ変わりの体験に通じるのではないでしょうか。

 そして注目すべきことは、自分が出演した映画を自分が見ることができることです。つまり、自分自身を俯瞰して見れるのです。
 実は、実際の人生もこれと同じではないかと私は思っています。魂が色々な人物を体験できるように、私はその主人公となって、人生という映画の中で生きている。
 この映画はあらすじはあるが、アドリブのきく映画で、場面場面で自分の判断が試されるーーー人生はこんな映画なのでしょう。
 そして魂は自分の主演した映画を、まるで観客が見るように俯瞰して見ている。
 般若心経の「色即是空」は、このことを示しているのではないでしょうか。実際の人生(色)は、実は自分が主演した映画という幻想(空)であり、それを俯瞰して見ることで、この人生の苦悩から脱却できるのではないでしょうか。
 

あの世に持っていけないものには価値がない

 輪廻転生という生まれ変わりを信じるならば(ちなみに私は信じています)、人生観はガラリと変わってきます。その一つが、この世で得たものに対する価値意識です。
 魂は成長のために何度もこの世とあの世を行き来します。だから現世だけに通用するようなものには価値がありません。
 私たちは肉体という衣を着なければ、この世に生まれることはできません。逆に、この衣を脱ぎ捨てなければ、あの世に行くことはできないのです。肉体という衣を着ることを「誕生」と言い、脱ぎ捨てることを「死」と言います。
 そして死ぬ時、肉体と共に付随した雑多なものも捨てなければならないのです。
 人種や性、肌の色、障害はもちろんのこと、この世で莫大な財産を築いても、豪華な家や高級車を所有していても、高級ブランドの服や装飾品で身を飾っていても、そんなものはあの世に持っていくことはできません。
 また社会的地位や肩書、名誉などもあの世に持っていけないのです。
だからこの世において皆が、こんな価値のないものに血眼になり、人と争い、嫉妬や差別、誹謗中傷を繰り返す愚かさに気づかなければならないでしょう。魂にとって本当に大切なもの、価値のあるものは何なのでしょうか。




森会長の発言に思う

 先日のオリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の発言が、女性蔑視だということで問題になっています。
 発言の要旨は「女性は競争意識が強いせいか、会議である女性が発言すると私もということになって、会議に時間がかかる」というような事でした。
 それが今マスコミで連日取り上げられ、女性蔑視だと非難の嵐が吹き荒れているのです。この流れは同調圧力となって、テレビで意見を求められたコメンテーターたちも皆一様に「けしからん」という調子で、この流れに逆らおうものなら自分がバッシングを受けかねない情勢です。
 だからこそ、私はあまのじゃくな性格のせいか、この流れにあえて逆らった発言をしたいのです。
 森会長の発言は問題だけれども、そんなに目くじらを立てるほどのものではないのではないかと・・・。「女性は感情的なので冷静で客観的な判断ができない」などと言ったのならいざ知らず、なにか世の中がギクシャクとして息苦しいんですよね。

 男女は平等だし、性による差別はいけない。役職や社会的地位は性で差別するべきではないーーーこの理念はあまりに当然で、私は大賛成です。だからこそ、私はある疑問を持つのです。
 もし仮に、首相とか社会に絶大な影響力のある女性(日本では少ないが、外国には多くいます)が、「男は粗野で頑固で気が利かない」という発言をしたら、それは男性蔑視ということで大問題になるのでしょうか?