身内で争っている場合か。
近年、私たちの住んでいるこの地球がちょっとおかしくなっている、と感じているのは私だけではないでしょう。
今年2023年の夏は、各地で記録的な猛暑、熱波を観測しました。今まで比較的涼しかったヨーロッパやアメリカ北部も記録的な暑さでした。地球温暖化は気候の上昇だけではありません。山火事も自然発生するのです。今年8月のハワイマウイ島の山火事では、100人を超える死者が出ました。その他、アラスカやシベリア、カナダなどの森林地帯で大規模な山火事が発生しました。
大雨の影響も見逃せません。アメリカでは1000年に1度という豪雨が発生。またパキスタンでは国土の3分の1が冠水するという大規模な災害がありました。インドや南米コロンビア、メキシコ、オーストラリア、トルコでも同様な大洪水が発生しました。
その一方で雨がほとんど降らないという干ばつもあり、中国の長江という大河は猛暑と干ばつで一部干上がってしまいました。南米のアマゾン川でも干ばつで水位が下がり、川底が一部見えてしまう現象が起きています。
台風(ハリケーン)も近年大型化しており、これも海水温が上昇しているのが原因と言われています。
私たち人間だけでなく、あらゆる動物や植物もこの地球に住んでいるのです。このままでは地球温暖化はますます進み、大災害は年々増え、多くの悲劇を生み出してしまうでしょう。
地球を家に例えれば、私たちはみな血のつながった親子であり兄弟なのです。皆で力を合わせて、この難局を乗り切らなくてはならないのです。
しかし現実はどうでしょうか。ロシアがウクライナに軍事侵攻してから、もう1年半が過ぎてしまいました。いつまで殺し合いを続けるのでしょうか。また最近では新たな戦争が始まりました。イスラエルとパレスチナのハマスの間です。双方5000人以上の死者がでています。今後ますます犠牲者は増えていくでしょう。
このような悲しいニュースを見るたびに私は思うのです。人類という身内で、そんな争いごとをしている場合かと。
今年2023年の夏は、各地で記録的な猛暑、熱波を観測しました。今まで比較的涼しかったヨーロッパやアメリカ北部も記録的な暑さでした。地球温暖化は気候の上昇だけではありません。山火事も自然発生するのです。今年8月のハワイマウイ島の山火事では、100人を超える死者が出ました。その他、アラスカやシベリア、カナダなどの森林地帯で大規模な山火事が発生しました。
大雨の影響も見逃せません。アメリカでは1000年に1度という豪雨が発生。またパキスタンでは国土の3分の1が冠水するという大規模な災害がありました。インドや南米コロンビア、メキシコ、オーストラリア、トルコでも同様な大洪水が発生しました。
その一方で雨がほとんど降らないという干ばつもあり、中国の長江という大河は猛暑と干ばつで一部干上がってしまいました。南米のアマゾン川でも干ばつで水位が下がり、川底が一部見えてしまう現象が起きています。
台風(ハリケーン)も近年大型化しており、これも海水温が上昇しているのが原因と言われています。
私たち人間だけでなく、あらゆる動物や植物もこの地球に住んでいるのです。このままでは地球温暖化はますます進み、大災害は年々増え、多くの悲劇を生み出してしまうでしょう。
地球を家に例えれば、私たちはみな血のつながった親子であり兄弟なのです。皆で力を合わせて、この難局を乗り切らなくてはならないのです。
しかし現実はどうでしょうか。ロシアがウクライナに軍事侵攻してから、もう1年半が過ぎてしまいました。いつまで殺し合いを続けるのでしょうか。また最近では新たな戦争が始まりました。イスラエルとパレスチナのハマスの間です。双方5000人以上の死者がでています。今後ますます犠牲者は増えていくでしょう。
このような悲しいニュースを見るたびに私は思うのです。人類という身内で、そんな争いごとをしている場合かと。
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愛の反対はサディズム
愛の反対は何でしょうか。よく憎しみとか無視とか言われますが、その感情面から見た時、私はサディズムではないかと思っています。
愛の感情は共感です。自分の愛している人(ペットでもいいですが)を想像してみて下さい。その人が楽しんでいれば、自分も楽しくなる。悲しんでいれば、自分も悲しくなる。お腹が痛いと苦しんでいれば、その痛みを引き受けたくなる。つまりその感情を共有したくなるーーーこれが愛です。
翻ってサディズムを考えてみましょう。サディズムとは相手を痛めつける心境です。なぜ痛めつけるのか。それはそこに喜びを見いだしているからです。まさに共感とは反対の感情ですね。
「他人の不幸は密の味」という言葉にあるように、誰でもこのサディズムは多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。もちろん愛の感情も持っています。ただ人によって、その割り合いが違うということなのでしょう。
戦争における拷問や、平和な世でもイジメがなくならないのも、このサディズムがなくならないからです。大切なのは、常に自分の心の中を覗き込むことです。愛とサディズムーーー私の心はどんな割り合いで存在しているのでしょうか。
愛の感情は共感です。自分の愛している人(ペットでもいいですが)を想像してみて下さい。その人が楽しんでいれば、自分も楽しくなる。悲しんでいれば、自分も悲しくなる。お腹が痛いと苦しんでいれば、その痛みを引き受けたくなる。つまりその感情を共有したくなるーーーこれが愛です。
翻ってサディズムを考えてみましょう。サディズムとは相手を痛めつける心境です。なぜ痛めつけるのか。それはそこに喜びを見いだしているからです。まさに共感とは反対の感情ですね。
「他人の不幸は密の味」という言葉にあるように、誰でもこのサディズムは多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。もちろん愛の感情も持っています。ただ人によって、その割り合いが違うということなのでしょう。
戦争における拷問や、平和な世でもイジメがなくならないのも、このサディズムがなくならないからです。大切なのは、常に自分の心の中を覗き込むことです。愛とサディズムーーー私の心はどんな割り合いで存在しているのでしょうか。
安倍首相銃撃事件から早1年
昨年の7月8日、当時の安倍首相が銃撃され死亡した事件から1年が経ってしまいました。時が経つのは早いですね。
この事件は大変衝撃的でしたが、世の中の悪い面と良い面をあぶりだしてくれました。悪い面はもちろん一人の人間が殺されたことであり、しかもそれが一国の首相という、前代未聞ではありませんが、平和な日本で起こってしまったこと、それにより警備体制の不備や日本の安全神話が崩されかねない事件だったことです。
一方良い面は(亡くなった首相には大変申し訳ない言い方になってしまいますが)、旧統一教会という宗教団体の問題点や多数の政治家との関係が明るみになったことです。
旧統一教会への多額の献金で家庭が崩壊したという悲劇のニュースがたくさん報じられました。その一方で、テレビで韓国にある旧統一教会の総本部の映像が映し出されました。広大な敷地に、いくつもの白亜の御殿のような壮大な建物ーーーこれらの費用の多くが日本からの信者の献金で賄われていることに私はとても腹が立つ思いなのです。
いったい宗教って何ですか? これは私の個人的見解ですが、金、金、金という物質的なものが人間の幸福に寄与するのではなくて、愛とか感謝、慈悲といった精神的なものが大切なのだと教えることではないでしょうか。
白亜の御殿を作る金があったら、それを世界の貧しい人たちに配ればいいのです。ユニセフや国境なき医師団にぜひ寄付してください。
この事件は大変衝撃的でしたが、世の中の悪い面と良い面をあぶりだしてくれました。悪い面はもちろん一人の人間が殺されたことであり、しかもそれが一国の首相という、前代未聞ではありませんが、平和な日本で起こってしまったこと、それにより警備体制の不備や日本の安全神話が崩されかねない事件だったことです。
一方良い面は(亡くなった首相には大変申し訳ない言い方になってしまいますが)、旧統一教会という宗教団体の問題点や多数の政治家との関係が明るみになったことです。
旧統一教会への多額の献金で家庭が崩壊したという悲劇のニュースがたくさん報じられました。その一方で、テレビで韓国にある旧統一教会の総本部の映像が映し出されました。広大な敷地に、いくつもの白亜の御殿のような壮大な建物ーーーこれらの費用の多くが日本からの信者の献金で賄われていることに私はとても腹が立つ思いなのです。
いったい宗教って何ですか? これは私の個人的見解ですが、金、金、金という物質的なものが人間の幸福に寄与するのではなくて、愛とか感謝、慈悲といった精神的なものが大切なのだと教えることではないでしょうか。
白亜の御殿を作る金があったら、それを世界の貧しい人たちに配ればいいのです。ユニセフや国境なき医師団にぜひ寄付してください。
幸福な人と不幸な人の分岐点ーーー道路の私有地問題に関して
先日テレビの報道番組で、ある道路の私有地問題について報じていました。それは銚子から茨城へ抜ける、通称「シーサイド道路」の一部が私有地になっていて、そこを通行する人から通行料を徴収しているということでした。
通行料は最初は500円だったものが今では4万円になっているそうで、地主と通行者の間でたびたびトラブルとなり、地主の暴力で傷害事件となり逮捕される事態にもなったそうです。
地権者は自分の土地に対し不動産取得税や固定資産税を払っているのだから、そこを勝手に通るのはけしからん、ということなのでしょう。しかし、道路というのは公共性があるわけですから、一方的に地主の主張が通るとは思えませんが、私は法律の専門家ではありませんので、その点についてのコメントは差し控えます。
かわりに、もっと哲学的なコメントをしたいと思います。それは、こういう問題に関し、幸福な人と不幸な人の分かれ道があるということなのです。
地主は自分の土地を誰かが通行したからといって、腹が痛くなるとか、自分の預金口座からお金が落ちるなどの、何らかの不利益を被ることはありません。それなら気持ち良く通してあげればいいではないですか。いや、オレの土地を勝手に通るのはけしからんって、こういう人を昔の言い方で(今はエゲツないのであまり使いませんが)、ケツの穴の小さいヤツというのです。
同様のことは他にもありますね。これは実際私が体験していることですが、対向車があった時に、どちらかがバックしなければならないような狭い道路があります。そんな時、すぐ横に誰かの私有地(車の駐車スペース)があれば、そこに一時、車を乗り入れて対向車を通すことができます。運転する人にとっては、そのスペースは大変助かります。でも実際、ケツの穴の小さい人がいるんですね。自分の私有地(駐車スペース)の道路際いっぱいに鉢植えを何本か置いて、乗り入れできないようにしているのです。
こういう人はなかなか幸福にはなれないでしょう。幸福と不幸の分かれ道はここにあるのです。
幸福とは何でしょうか? 私は幸福とは良い気分のことだと思っています。笑いがあって楽しく、ウキウキした気分。また安心感があって落ち着いた穏やかな気分ーーーこのような良い気分の時、私たちは幸せを感じるのではないでしょうか。反対に、イライラしたり悲しく落ち込んだり、不安になっている時に幸福を感じることはありません。
心理学上の常識があります。それは相手に対し発した自分の感情のエネルギーは、そのまま自分に返ってくる、ということです。相手に怒りをぶつければ、その怒りは自分に返ってきます。悲しい思いをさせれば、その悲しみは自分に返ってきます。相手を喜ばせることができれば、その喜びはやかて自分に返ってくるのです。
シーサイド道路の地主は常に監視カメラで見張っていたそうです。その間、心は落ち着くことはないでしょう。誰かが自分の所有地を通ったからといって、実質的な不利益は被らないのですから、相手を喜ばせてあげたらどうでしょう。その道路を通れば3キロで行くところを、う回路を通れば5キロになってしまいます。道路を気持ちよく通してあげれば、ガソリン代や時間の節約にもなるし、地球環境にもやさしくなれます。
これは社会に対し貢献しているわけで、良い気分になれるのではないでしょうか。だからといって、自分のしたことに対する見返りを求めてはいけませんよ。見返りを求めれば不満が生じ、ケツの穴の小さい人と同じになってしまいますから。
通行料は最初は500円だったものが今では4万円になっているそうで、地主と通行者の間でたびたびトラブルとなり、地主の暴力で傷害事件となり逮捕される事態にもなったそうです。
地権者は自分の土地に対し不動産取得税や固定資産税を払っているのだから、そこを勝手に通るのはけしからん、ということなのでしょう。しかし、道路というのは公共性があるわけですから、一方的に地主の主張が通るとは思えませんが、私は法律の専門家ではありませんので、その点についてのコメントは差し控えます。
かわりに、もっと哲学的なコメントをしたいと思います。それは、こういう問題に関し、幸福な人と不幸な人の分かれ道があるということなのです。
地主は自分の土地を誰かが通行したからといって、腹が痛くなるとか、自分の預金口座からお金が落ちるなどの、何らかの不利益を被ることはありません。それなら気持ち良く通してあげればいいではないですか。いや、オレの土地を勝手に通るのはけしからんって、こういう人を昔の言い方で(今はエゲツないのであまり使いませんが)、ケツの穴の小さいヤツというのです。
同様のことは他にもありますね。これは実際私が体験していることですが、対向車があった時に、どちらかがバックしなければならないような狭い道路があります。そんな時、すぐ横に誰かの私有地(車の駐車スペース)があれば、そこに一時、車を乗り入れて対向車を通すことができます。運転する人にとっては、そのスペースは大変助かります。でも実際、ケツの穴の小さい人がいるんですね。自分の私有地(駐車スペース)の道路際いっぱいに鉢植えを何本か置いて、乗り入れできないようにしているのです。
こういう人はなかなか幸福にはなれないでしょう。幸福と不幸の分かれ道はここにあるのです。
幸福とは何でしょうか? 私は幸福とは良い気分のことだと思っています。笑いがあって楽しく、ウキウキした気分。また安心感があって落ち着いた穏やかな気分ーーーこのような良い気分の時、私たちは幸せを感じるのではないでしょうか。反対に、イライラしたり悲しく落ち込んだり、不安になっている時に幸福を感じることはありません。
心理学上の常識があります。それは相手に対し発した自分の感情のエネルギーは、そのまま自分に返ってくる、ということです。相手に怒りをぶつければ、その怒りは自分に返ってきます。悲しい思いをさせれば、その悲しみは自分に返ってきます。相手を喜ばせることができれば、その喜びはやかて自分に返ってくるのです。
シーサイド道路の地主は常に監視カメラで見張っていたそうです。その間、心は落ち着くことはないでしょう。誰かが自分の所有地を通ったからといって、実質的な不利益は被らないのですから、相手を喜ばせてあげたらどうでしょう。その道路を通れば3キロで行くところを、う回路を通れば5キロになってしまいます。道路を気持ちよく通してあげれば、ガソリン代や時間の節約にもなるし、地球環境にもやさしくなれます。
これは社会に対し貢献しているわけで、良い気分になれるのではないでしょうか。だからといって、自分のしたことに対する見返りを求めてはいけませんよ。見返りを求めれば不満が生じ、ケツの穴の小さい人と同じになってしまいますから。
何事もバランスが大切
進化生物学を専門にしている長谷川英佑北海道大学准教授の研究によれば、アリの集団には、よく働くアリと、少し働くアリと、あまり働かないアリの3種類があると言います。その比率は2:6:2になるのだとか。
さて、ここからが肝心なところです。ほとんど働かないアリを集団から排除したらどうなるのか? やはり一定割合で働かないアリが出てくるというのです。働かないアリだけを集めても、やはり同じように今度はよく働くアリが出てくる。その割合は、2:6:2になるのだそうです。
つまり、アリの集団の存続のためには、働き者だけではだめで、さぼる連中も必要ということなのでしょう。バランスが大切なのですね。
私たちの腸内には善玉菌と悪玉菌、そしてどちらにもなる日和見菌がいます。善玉菌は腸内環境を良く保ちますし、悪玉菌が増えると腸内環境は悪くなります。それなら悪玉菌は全滅すればいいと思いがちですが、腸内環境維持のためには悪玉菌も一定数必要ということなのです。この点でもバランスが大切なのですね。
先日「広報けいしちょう」という子供向けの新聞紙面を見ましたが、事件や事故に巻き込まれないためのアドバイスがいくつか載っていました。その中で、「やさしそうなひとがきて、おとしものをいっしょにさがして」と頼んできたら、とにかく断りましょう、というアドバイスでした。
警視庁としては、そのように言うしかないのでしょうが、「人を見たらドロボウと思え」式に、どんな場合でも人を信用するなという印象を与えるアドバイスはどうなのでしょうか。何か住みにくい世の中になりそうですね。
確かに最近は詐欺や強盗などの犯罪が多発しています。でもそのような人は一部で、多くの人は優しい人ではないでしょうか。猫も杓子も一緒ではなく、何事もバランス感覚を持って、世の中を客観的に見ることが必要でしょう。
さて、ここからが肝心なところです。ほとんど働かないアリを集団から排除したらどうなるのか? やはり一定割合で働かないアリが出てくるというのです。働かないアリだけを集めても、やはり同じように今度はよく働くアリが出てくる。その割合は、2:6:2になるのだそうです。
つまり、アリの集団の存続のためには、働き者だけではだめで、さぼる連中も必要ということなのでしょう。バランスが大切なのですね。
私たちの腸内には善玉菌と悪玉菌、そしてどちらにもなる日和見菌がいます。善玉菌は腸内環境を良く保ちますし、悪玉菌が増えると腸内環境は悪くなります。それなら悪玉菌は全滅すればいいと思いがちですが、腸内環境維持のためには悪玉菌も一定数必要ということなのです。この点でもバランスが大切なのですね。
先日「広報けいしちょう」という子供向けの新聞紙面を見ましたが、事件や事故に巻き込まれないためのアドバイスがいくつか載っていました。その中で、「やさしそうなひとがきて、おとしものをいっしょにさがして」と頼んできたら、とにかく断りましょう、というアドバイスでした。
警視庁としては、そのように言うしかないのでしょうが、「人を見たらドロボウと思え」式に、どんな場合でも人を信用するなという印象を与えるアドバイスはどうなのでしょうか。何か住みにくい世の中になりそうですね。
確かに最近は詐欺や強盗などの犯罪が多発しています。でもそのような人は一部で、多くの人は優しい人ではないでしょうか。猫も杓子も一緒ではなく、何事もバランス感覚を持って、世の中を客観的に見ることが必要でしょう。